新しいものはなぜ魅力的か考えてみる

こんばんは、オオカミです。

今日のブログの記事はSEO無視です。

検索にヒットしないような内容です笑

いわゆる日記のようなブログ記事です。普段SEOばかりを意識していると個性が失われるような気がします。

なので、個人のブログもどこも似たり寄ったりの内容になっているような気がします。

例えば**は簡単に儲かる!誰でも簡単に!

今すぐここをクリック!

みたいな感じで、紹介→アフィリンクなんていう記事が量産され続けています。

もはやみんなテンプレ化していて埋没してるんじゃないかという気がします。

 

なので今回はあえてSEO全無視で記事を書いてみたいと思います。

 

本題へ

今回は新しいものはなぜ魅力的か考えてみるをテーマにします。

新しいものと一言にいっても

  • 新品の服、靴
  • 新商品
  • 新事業
  • 新規上場株
  • 新人
  • 新しい女

などなど無限に出てきます。

新しいものが開発されれば、広告が打たれ消費者は常にあおられています。

生産→広告→消費→廃棄

このように新しいものは常に生産されては別のものに移り変わっていきます。

これが世の中の原則なのでしょうか?

個人レベルで新しいものについて考えてみたいと思います。

 

個人では

新しい物事

新しい商品

新しい経験

新しい恋人

など無限に出てきます。

同じ経験や商品をずっと使っていても飽きが来てしまって、なんだかつまらなくなります。

いわゆる飽きるという状態です。

この状態だと、新しいものの価値は何倍にも跳ね上がります。

新しいものはその本来の価値よりも過大に評価されます。

この過大な評価が存在するためバブルも起こります。

 

人間というのは賢い生き物に見えてアホです。

錯覚しますし、過去の遺伝の影響を受け物事を正しく見るのは不可能です。

この人間のゆがみこそが新しいものの価値を押し上げています。

このゆがみは人間が培ってきたものであり、悪いものではありません。

まあ当然ですが、古いものばかり食べていたらおなか壊してしまいますよね笑

食べ物では新しいものを追い続けるのは正しいです。

しかし、すべての物事において新しさというのは正しいのでしょうか?

 

ご新規しか魅力的に見えなくなり

次から次へと新しい恋人を作る

次から次へと新しい副業っぽいことをやる

手あたり次第手を出したけど、自分には何一つ残らないということもあります。

そのため新しさを追い求めることはある場面では正しく、ある場面では正しくないということになります。

 

この正しさの基準とは一体何なんでしょう?

オオカミが考える基準は最小単位での新しさです。

恋人であればその人の新しい良さを見つけることかと思います。

人をどんどん変えてしまっては進歩も少ないんじゃないかなと思います。

もちろんある程度の経験は必要ですが、度が過ぎるのはどうかなと思います。

欲望というのはブラックホールのようなもので、大きくなると歯止めが利かなくなります。

制御できない欲望に火をつけてしまった時点で終わりです。

 

次回は欲望について考えてみたいと思います。

雑な文章ご容赦ください。

 

オオカミ

 

 

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